いつものようにしじみ汁を美味しそうに飲み干すトキを、松野家の人達はそわそわと見ていました。いつもと違うよそよそしい家族がトキは不思議でした。しかも家の外ではサワが偶然を装って、トキを待っていました。トキは待ち伏せしとったでしょ、と見破ります。サワに呼ばれて小谷が顔を出します。約束を覚えているかと問う小谷に、トキは約束は覚えている、と誘いを受けとめます。
ヘブンは「アト ヒトツ…」とつぶやきます。何か良いテーマがないものか、と思案していました。トキはヘブンに手紙を渡します。小谷との約束か?とヘブンが問うと、夕餉までには帰ります、とトキは言います。どこに行くのかと聞くヘブンに「小谷さん、知る、私、ノー」と答えるトキ。「イッテラッシャイ」とヘブンは背を向けます。トキが出て行くのを背中で感じながら、少し苛立つヘブンでした。
小谷とトキは清光院に来ていました。トキは、大好きな場所に来て昂る気持ちを抑えきれません。

ほんに嬉しいです!おっしゃるとおりここは大好きな場所で…
この寂しさがええですよね。文明だ西洋だと、今の時代から取り残された悲しさや切なさがあって。
うっとりとトキは言いますが、小谷は共感しかねるという表情ですが、口だけは「なら、良かったです。」と合わせます。
ヘブンは落ち着かない気持ちをもてあましていました。お茶を飲もうとすると急須にはもうお茶は残っていません。ため息をついて、ついにはごろんと寝転んでしまいました。
清光院でトキは、嬉しくてはしゃいでいます。小谷に、謡曲の「松風」を謡うと彼女の幽霊が出るのだとトキは言いました。どうして現れるのか、それは寂しさ故だと言うトキ。すると小谷はその場所に立って、なんと「松風」を謡い始めました。トキは慌てて止めますが小谷は振り返り「やっぱり出ませんでしたね。」小谷は怪談が好きだということについていけない、時間の無駄です、と言い放ちます。

でも、私は好きだけん。大好きだけん。
トキは「怪談」が好きだ、と言いたかったのだと思いますが、小谷は自分のことだと思い「気持ちは嬉しいが」と立ち去ります。トキは話が通じていなかったことに気づいて、好きなのは怪談で、あなたのことではないと言いますが、小谷は振り向きもせず帰っていきました。その瞬間、つむじ風が吹きバタバタと物が落ちてきたり…松風が現れたのでしょう。
帰ってきて炭をおこしているトキに、ヘブンは尋ねます。

コタニ、タノシイ、アリマシタカ?

楽しい…ノー、ありませんでした。
ヘブンは背をむけたまま、それについては何もいいませんでしたが、トキが炭を火鉢に入れにくると、振り返って「アリガトウ」と微笑みました。ヘブンはトキが部屋を出ようとする足音を聞きながら、自分が少しホッとしていることや、何か声をかけるべきなのだろうかという思いに戸惑います。そして、シジミサン!と思わず声をかけますが、続く言葉が出てこず、なんでもない、気にしないで、などとお茶を濁すのでした。自分は何を言おうとしたのだろうと首を振り、執筆しているふりをするヘブン。これ以上は聞いても…と思いながら部屋をでようとして一度振りかえり、出ていくトキ。襖が閉まる音がしてから、トキが出ていった方を振り返るヘブン。ため息をつき、自分の気持ちをもてあますヘブンでした。

コタニ、何ナンwずっと松風ならぬ藤井風の何なんwが脳内に鳴っている筆者です。勝手に「顔」を好きになって、思ってた中身と違うからと言って「無理です。」はないでしょう?言うに事欠いて「時間の無駄」とは!
しかし、この小谷こそがトキの愛する世界をくっきりと見せてくれているのです。「文明だ西洋だと、今の時代から取り残された悲しさや切なさ」を小谷は理解できません。今もその場所に残る松風の想いを小谷は見ることができません。ましてや幽霊の存在を信じることもできません。ですから松風も自分の存在を否定する小谷がいなくなってから、トキにだけわかるように現れたのでしょう。この「見えないけど在る世界」こそ、セツとハーンが愛した世界でした。
トキは小谷をどう思っていたのでしょうか。好意を寄せてくれていると気づいてはいたと思います。そしてほんの少しの期待もあったかもしれません。人の心は幾重にもひだがありそれは揺れ動くものです。でも、ヘブンが「トオリスガリ」だということに寂しさを覚えているのも本当の気持ちです。そしてリヨがヘブンを慕っていることも知っていて、自分は「ただの女中」だとも思っているなど、揺れる気持ちが手にとるように伝わってきました。
ヘブンも小谷とトキのことを気にする自分にため息をつくなど、揺れに揺れています。二人は揺れながら、波のように寄せては引いて近づいていくのでしょう。

