ばけばけ 気になる史実 ラフカディオ・ハーンの生い立ちは?

ばけばけ

朝の連続テレビ小説「ばけばけ」レフカダ・ヘブンのモデルであるラフカディオ・ハーン(1850 – 1904)について、詳しく調べてみました。ドラマと重なる史実やドラマのオリジナルストーリーも見えてくることでしょう。

※ドラマと史実を見分けやすくするため、史実の人物名は赤、ドラマの人物名は青で表記します。

ラフカディオ・ハーン(小泉 八雲)

プロフィール・生い立ち

パトリック・ラフカディオ・ハーンは1850年(日本は江戸時代末期:嘉永3年)ギリシャのイオニア諸島にあるレフカダ島(当時この島はイギリス保護下にありました。)で生まれました。父チャールズはアイルランド人の軍医、母ローザはギリシャ人という多文化家庭。パトリック・ラフカディオ・ハーンは英語読みで、ギリシャ語ではパトリキオス・レフカディオス・ヘルンです。彼の名「ラフカディオ」は、この故郷の島名が由来です。ドラマの役名レフカダ・ヘブンもまたこの島にちなんでつけられたと思われます。(以下ハーン

父母の複雑な事情

チャールズとローザは出会い、恋に落ちますが、ローザの家族は(当時の政治的な事情も関係し)結婚に大反対します。そのため、駆け落ちのような状態で二人はレフカダ島にやってきたのでした。

ヴィクトリア女王期、大英帝国が支配する領域を拡大していた時期でチャールズはその任務のため転任を繰り返していました。ハーンが生まれた時もレフカダ島には不在でしたが、ハーン誕生後長男が亡くなり、以降2年ほどハーンは母と二人で暮らしていました。

ハーンが2歳の時、ダブリンに呼び寄せられますが、ここでの生活はギリシャとは文化や習慣が異なり、ローザにとって辛いものになりました。またアイルランドに住む少数エリートのハーン家はローザや異文化に寛容ではありませんでした。次第に精神を病んでいったローザは、ハーンが3歳になった頃、精神の錯乱を起こします。その後3人目の子を妊娠にたローザはギリシャに戻り、4歳でハーンはひとりダブリンに残されてしまったのでした。

ローザはハーンに会いにダブリンに戻りますが、会わせてもらえず失意のままギリシャに帰ります。ハーンにはそのことは知らされませんでした。チャールズはローザと離婚の手続きをし、別の女性と結婚してハーンを置いて出て行ってしまいます。ハーンは生涯で父に5回しか会わなかったのだと言っています。

目に見えない不思議なものに興味を持つきっかけ

ハーンは少年期までダブリンのブレナン婦人に育てられます。乳母のキャサリンはケルト神話をたくさん聞かせてくれた人でした。この頃の体験が「目に見えない不思議なもの」に関心を持つ素地を作ったのでしょう。

「むじな」の原型になった体験

ブレナン婦人の家にジェーンという少女が逗留した時のことです。敬虔なキリスト教徒であったジェーンは、ハーンによくお説教をしました。ハーンはいつも「叱られた気分になった」ようです。ある時、ジェーンは地獄の恐ろしさをハーンに語ります。それからハーンはジェーンを嫌いになってしまいました。しばらくして家の中でジェーンを見かけたハーンはジェーンを呼びましたが、振り返ってくれません。何度も何度も呼び、やっと振り返ったジェーンの顔には目も鼻も口もなく、のっぺらぼうだったのです。

これは後に書かれる「むじな」の話の原型になったと考えられています。

少年期のハーン

13歳になったハーンは、北イングランドの全寮制神学校「聖カスバート校」に入学しました。ハーンは英作文はクラスで1番でしたが、数学は苦手だったようです。神学校に通いながらも、これまでケルト神話やギリシャ神話に触れて育ったハーンはキリスト教には馴染めなさを感じていました。

16歳の時友達とスポーツに興じていたハーンは左目を打撲し、手術を受けましたがハーンの左目に光が戻ることはありませんでした。左の眼球は角膜が白濁したままになり、ハーンは写真に写る時は左を向いて、その目を隠すようになりました。同じ年に父チャールズがマラリアで亡くなります。ブレナン婦人も遠縁の男に騙され破産し、ハーンは元乳母のキャサリンの元に身を寄せますが、居心地が悪く、イギリスを離れます。

アメリカへ渡り、新聞記者として活躍

19歳のとき、ほとんど身ひとつでアメリカへ渡ります。まずシンシナティで苦しい生活をしながら仕事を探し、新聞記者としての彼の文章は観察力に優れ、人情や社会の裏側にも鋭く触れるスタイルで人気を集め才能を認められていきました。

マティという混血の女性と出会い結婚しますが、うまくいかず離婚。

後にニューオーリンズへ移り、そこで南部の文化や音楽、クレオール料理などに強く魅了され、エッセイや旅行記として発表。さらには西インド諸島(マルティニーク)にも渡り、こちらでも現地文化に深く興味を寄せました。

生涯の友ビスランドとの出会い

エリザベス・ビスランドはドラマのイライザのモデルになった人だろうと思われます。ビスランドハーンの記事をよく読んでおり、ハーンに憧れてジャーナリストを目指したそうです。記者として活躍するようになったビスランドはニューヨークで大富豪と結婚しますが、ハーンが日本に渡った後も手紙をやり取りし、ハーンの死後には伝記を執筆しています。

ニューオリンズの万博で日本の文化に魅了される

ハーンは毎日のように万博に足を運び、日本パビリオンの展示を興味深く鑑賞しました。日本の楽器や音楽・旋律にも感動したそうです。ハーンはこの時に日本館の文部省普通学務局長の服部一三と親しくなっています。ハーンが日本を訪れるのはもう少し先になりますが、来日するずいぶん前から日本に関心が深かったのですね。

こうした世界各地での経験が、ハーンを「異文化を理解し、物語として伝える作家」へと成長させていきます。

こうしてハーンはさまざまな文化を渡り歩き、1890年、彼は雑誌の特派員として日本へ向かうことになります。当時の日本は近代化の真っただ中。西洋人からすると、急速に変化しながらも美しい伝統や精神性が残る、とても独特な国でした。
日本到着──運命の出会いへ
松江の中学校に赴任したハーンは、日本の風習、自然、そして人々の温かさに深く心を動かされます。
ここでの生活を通じて、日本文化への愛情を深め、やがて日本女性(小泉セツ)と結婚し、日本国籍を取得して「小泉八雲」と名乗るようになります。

※今後の記事で、セツとハーンが出会ってからのことも書く予定です。

お楽しみに。

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