ばけばけ 気になる史実 トキのモデル小泉セツはどんな人?

ばけばけ

朝の連続テレビ小説「ばけばけ」トキのモデルである小泉セツ(1868-1932)について、詳しく調べてみました。ドラマと重なる史実やドラマのオリジナルストーリーも見えてくることでしょう。

※ドラマと史実を見分けやすくするため、史実の人物名は赤、ドラマの人物名は青で表記します。

小泉セツ

プロフィール・生い立ち

慶応4年(1868年)2月4日、松江藩(現・島根県松江市)藩士・ 小泉湊チエの次女として生まれました。名前の「セツ」は節分生まれにちなんだともいわれています。

小泉家は藩主の松平家に代々使える由緒ある家柄でした。セツは生後まもなく遠縁の 稲垣家に養女として入ります。これは「小泉家に次に子どもが生まれたら、その子を稲垣家の養子とする」という約束があったためです。

稲垣家は藩士としては小泉家よりも格下で、上司の子をもらい受けたということもあり、セツ稲垣家で大事に育てられました。ドラマの中で祖父勘右衛門トキを「お嬢」と呼んでいますが、事実養父母の稲垣金十郎トミ、養祖父の万右衛門セツをそう呼んでいたようです。

セツの養父:稲垣金十郎

金十郎は明治維新前に京都警備の任についていましたが、維新前の緊迫した時代の空気の中、毎日のように部下にお菓子を買いに行かせたり、子ども達に鳥羽・伏見の戦いを面白おかしく話して聞かせるなど陽気な人物だったようで、司之介とイメージが重なります。

セツの養母:稲垣トミ

トミは出雲大社の社家の上官高浜家の養女で、無学でしたが実直な働き者でした。出雲神話など多くの物語をセツに聞かせ愛情豊かに育てました。フミもまた史実の養母に寄せた人物として描かれています。

セツの養祖父:万右衛門

ドラマの勘右衛門のように、武士の気位や価値観を捨てられない頑固さを持った人物だったようです。しかしやはり「お嬢」と呼んだセツのことを大事にしていたのは間違いありません。

セツが生まれた頃の時代背景

1898年は明治維新の年で、前年には徳川慶喜による大政奉還がありました。世の中が大きく変容する過渡期で、幕府軍と新政府軍が衝突、鳥羽・伏見の戦いはセツが誕生するほんの1ヶ月前の出来事でした。

幼少期のセツのエピソード

1870年(明治3年)政府は書く知藩事(現在の知事)に石高(こくだか:その土地の生産性)に応じた歩兵小隊・砲兵隊の軍を編成するよう命じました。松江藩ではフランス式の調練を行うことになり、フランスから近代的な砲術を教えるためにワレットという士官がやってきました。ワレット小泉湊が小隊長を務める軍隊の調練を行っていました。この様子を見に来ていたセツ(3歳)は「小泉のおじ様」を探していたところ、ワレットがやってきました。初めてみる大きな外国人の姿を見て泣き出す子どももいましたが、セツは驚きはしたものの怖がることはなく見ていたら、ワレットは笑ってセツの頭を撫で、何かをポケットから取り出しセツの手に持たせ、去っていきました。セツはそれが何かわかりませんでしたが、とても嬉しい気持ちになって家に持ち帰りました。

セツがもらったのは、折り畳み式の虫眼鏡だったそうです。養父母はとても珍しいものだから預かろうとしましたが、セツは自分で持っていることにしました。この出来事を後年のセツ「西洋人に好意を持つきっかけであり、もし虫眼鏡をもらうことがなかったらハーンと夫婦になることもなかったかもしれない」と語っています。

このエピソードは「知られぬ日本の面影」でハーンによって語られています。

「お話ししてごしない」

幼少期のセツはお話しを聞くのが大好きで、大人をつかまえては「お話ししてごしない」と物語をねだりました。後に、薄暗い行灯の下で様々なお話しを聞いたことを少女期の回想として語っています。

先述したように、養母トミは出雲神話をはじめ多くの民話、生霊や死霊の怖いお話、祈祷、神楽の話などたくさんのお話を語って聞かせてくれました。実母のチエは教養も深く読書家だったため、やはり多くのお話をセツに聞かせてくれたのでした。

子どもの頃の日常的な体験は後々その人格を形成する大きな要素となり得ますから、セツがお話好きな少女期を経て、やがて、日本に大きな興味を抱いていたハーンの著作へ影響を及ぼし、語り部となっていくのも納得できます。

チエが語った狐の話

朧月夜、チエが実家の塩見家から帰る途中、チエのすぐそばを走り抜けていった狐がいました。狐を追ってきた二頭の犬のうち一頭がチエに襲い掛かってきたので、チエは「無礼な!」と手に持っていた傘で犬を打ち払い退散させました。

その数日後、上品な女性がチエを訪ねてきて、二分銀を2枚差し出し、世話になったと礼を述べたということです。

その女性の正体はあの朧月夜の狐…だったのでしょうか。不思議なお話しにセツの胸はときめいたことでしょう。

困窮していく生活

お話好きなセツは勉強も好きになりよく学んでいましたが、金十郎が詐欺にあい財産を失います。

セツは11歳で小学校下等教科を卒業しましたが、学校に通うこともできなくなってしまいました。上等教科に進学したいセツでしたが、お金もなく、また、女の子に学はいらないとも言われました。セツは紫式部や清少納言の名を出して女であっても学びたい学ぶ価値があるのだと訴えますが、聞き入れてはもらえませんでした。

士族の家柄に生まれながら、明治維新後の激変で家禄や家柄の維持が困難になり、稲垣家も経済的に苦境に立たされる中、セツ自身も学校進学を断念し、機織りなど働きながら家計を支えました。

八重垣神社 鏡の池の占い

セツは佐草村の八重垣神社を訪れました。八重垣神社は八岐大蛇(やまたのおろち)を退治した素戔嗚尊(すさのおのみこと)とその妻 稲田姫命(いなだひめ)、息子 青幡佐久佐丁壮命(あおはたさくさひこのみこと)が祀られていて、恋愛や結婚に霊験あらたかだと言われています。

奥に「鏡の池」という池があり、この池では恋愛占いができます。社務所で占いの和紙を購入し、小銭を乗せて水面に浮かべます。この紙が沈み水底のイモリが触れてくれたら良縁が成就すると言い伝えられています。

筆者は実は以前、八重垣神社にお参りしたことがあり、鏡の池の占いもやってみました。和紙は水に浮かべると、例えば「よき人にめぐまれる 西と南 吉」などのメッセージが浮かび上がります。

早く(15分以内)に沈めば早くご縁があり、遅く(30分以上)沈めばご縁は遅く訪れ、また近くで沈むと近い土地で、遠くで沈むと遠い土地で叶うと言われています。(恋愛以外にも当てはめて占えます)

セツは友達と訪れて占ったところ、セツの紙だけ遠くまで流れて行って沈んだそうです。異国のハーンと結ばれたセツ、占いも当たっていたといえるかもしれませんね。

後にラフカディオ・ハーン(小泉八雲)はこの八重垣神社を「神秘の森」と呼びました。

セツ 一度目の結婚

18歳の時、セツ前田為二と結婚します。為二は28歳でした。為二は入り婿として稲垣家に入ります。しかし、万右衛門の武士の厳格さと頑固さ、為二稲垣家の家風に合わせさせることの窮屈さに加えて、働かない金十郎、終わりの見えない稲垣家の借金…様々な重圧に耐えかねて結婚からわずか1年で為二は出奔してしまいました。

ドラマの中でトキ銀二郎は、気の合うとても仲の良い夫婦でした。セツ為二もそうであったようですが、借金と気難しい祖父の存在、入り婿という立場の身の置き場のなさは夫婦の溝を深める結果となってしまったのでしょう。

為二を迎えに大阪へ

セツ為二が大阪へいることを知り、なんとか捻出したお金で大阪へ行きますが、帰ってきてほしいという願いを為二は受け入れませんでした。セツは川に身を投げたいほどの気持ちでしたが、残された家族を思うとそれもできず、一人で松江に帰ったのです。セツ為二との婚姻関係を解消しました。

ドラマでは銀二郎は東京へ出ており、そこでトキ錦織にも出会うという設定でした。銀二郎トキもお互い気持ちが残っており、銀二郎は二人で東京で暮らそうと言いましたが、トキは家族を見捨てることができませんでした。見捨てられないというよりも家族のことが好きで、離れることを選択できなかったと言う方が近いかもしれません。史実ではセツ為二はここで縁が切れていますが、ドラマでは銀二郎再登場するようです。どんな展開になるのでしょうか。

セツ 小泉家に復縁する

セツ小泉家に復縁する手続きをしました。稲垣家の戸籍には養子として為二が残ってしまうため、法的に確実に離婚するにはそうすることしかなかったのです。とはいえ、セツ稲垣家の人達と暮らし続けます。しかし、このころにはチエの暮らしも傾いており、実質セツ稲垣家チエの両方を支えなければなりませんでした。頼れるはずの親戚も皆 零落していて、頼る人などいなかったのです。セツは家に残った品々を売り払って露命をつなごうとしていました。

その頃…

1980年(明治23年)8月 ラフカディオ・ハーンが松江の港に到着しました。

セツが22歳の時でした。

ドラマではトキ雨清水家に復縁していないのですが、このあたりはどう描かれるのでしょう。

家族のために懸命に働くセツ

セツは懸命に働き、反物一反を1日で織り上げるほどだったといいます。しかし、養う人が多すぎて稼いでも稼いでも足りない生活費、まるで穴の開いたバケツに水を注いでも注いでも水が流れ出ていくようです。

やがて松江に厳しい冬がやってきました。日本海側の地域の寒さは厳しく辛いものです。ただでさえ厳しい寒さなのに、その年は大寒波と大雪が押し寄せ、雪や寒風の吹き込むあばら家に住むセツも老いて心身ともに弱っている養父母・祖父・実母も皆、生きていくことさえ危ぶまれる状態でした。

そんな中、夏に、松江にやってきた外国人の英語教師が女中を探していると耳にします。当時の風潮からすればそれはすなわち「妾」「現地妻」の役割も兼ねていると考えるのが普通でした。しかし、セツにはもうそれよりほかに道がありませんでした。セツは覚悟を決め、募集に応じました。

ただ、普通の西洋人は横柄で日本人を見下した態度をとる者が多い中、女中を求めているハーンという教師は、敬意を持って日本人に接しているとの噂をセツは聞いていました。子どもの頃、虫眼鏡をくれたフランス人のワレットもまた優しく接してくれた西洋人でした。そんな記憶がセツに少しは安心感をもたらしたかもしれません。こうしてセツは、ラフカディオ・ハーンの女中となりました。

 

※今後の記事で、ラフカディオ・ハーンや、セツとハーンが出会ってからのことも書く予定です。お楽しみに。

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