明治時代、それまで武士として社会の中心にいた「士族」(旧武士階級)が、生活に困窮し物乞いに身を落とすケースが相次ぎました。朝ドラ「ばけばけ」でも、美しかったタエが物乞いをする姿は衝撃的でした。プライドの高い彼らがなぜそこまで追い詰められたのか、その経緯を追います。
侍の特権が次々と剥奪!「士族の悲劇」の始まり
明治維新後、新政府は近代国家の建設を目指し、旧来の武士の特権を次々と廃止する政策を打ち出しました。これが士族没落の大きな原因となります。
- 1872年(明治5年):徴兵令の公布
- 国民皆兵制度が導入され、武士が担ってきた軍事的な役割が失われました。これにより、士族の存在意義の根幹が揺らぎます。
- 1876年(明治9年):廃刀令の公布
- 武士の象徴であり、魂とも言われた刀の携帯が禁止されました。特権を奪われ精神的な拠り所を失うだけでなく、士族の不満が爆発するきっかけの一つにもなりました。
決定打となった「秩禄処分」と貧困の拡大
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- 士族にとって最も致命的だったのが、政府からの収入源である「家禄(かろく)」や「賞典禄(しょうてんろく)」を廃止する「秩禄処分」です。
- 財政圧迫の解消
- 士族への禄(給与)の支給は、明治政府の歳出の大きな割合(一時は約45%)を占め、国家財政を圧迫していました。政府はこの負担から逃れる必要がありました。
- 秩禄処分の実行(1876年)
- 政府は禄を廃止する代わりに、「金禄公債証書」という公債を士族に交付しました。これは、現代でいう退職金のようなものでしたが、現金ではなく証券だったため、すぐに生活費に充てることは困難でした。
- 生活費に満たない利子
- 特に禄高が低かった下級士族に支給された公債の利子は非常に少なく、これだけではとても生活できませんでした。
- 財政圧迫の解消
- 士族にとって最も致命的だったのが、政府からの収入源である「家禄(かろく)」や「賞典禄(しょうてんろく)」を廃止する「秩禄処分」です。
「士族の商法」の失敗と最後の望み
長年、武士として戦や行政に携わってきた士族は、生産的な仕事の経験がほとんどありませんでした。
また官職は減少し、新政府での官職は限られており、大半の士族は失業状態に陥りました
- 不慣れな商売への手出し
- 公債を元手に商売を始める士族が多くいましたが、不慣れなため失敗するケースが続出。これを当時の人々は「士族の商法」と揶揄しました。
- 定職につけず困窮
- 商売に失敗したり、公債を使い果たしたりした士族は、定職につくことも難しく、人力車引きなどの肉体労働や、中には物乞いにまで身を落とす者も現れました。
このように、明治政府の近代化政策によって特権と収入源を失った士族は、社会の激変に適応できず、生活基盤を崩壊させ、悲惨な末路を辿ることになったのです。


